【JJI】プロフィール

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JJI

娘からJJI(ジェイジェイアイ)と呼ばれたことを勝手に気に入って、プロフィールの名前に
使っている。
JJIの略は次の通り。(娘はそんなつもりで呼んでいないが・・・)

  • J=自分らしく
  • J=自由に
  • I=生きること

プロフィール

本名会社員のため、本名は非公開
ニックネームJJI(ジェイジェイアイ)
出身地・現住所出身地:山梨県、現住所:埼玉県
職業会社員/SE(システムエンジニア)
就職してからずっと同じ職業
最終学歴大卒
家族妻・娘2人
趣味読書、音楽鑑賞(邦楽中心)、ブログ、運動(筋トレ・ストレッチ)、
テレビゲーム、スクラッチアート
※人生の転機で色々なことに挑戦し、趣味が増えた
得意なものパソコン、プログラミング
大事なもの家族、この世の中で妻、娘が一番大事
家族がいるから頑張れる

これまでの歩み

子供時代

1970年代、山梨県に生まれる。
家の周りは山が近くて自然に多く、子供時代は兄弟と一緒に山・川で遊ぶことが多かった。
小学校は2kmぐらいあって、毎日歩いて通っていた。
小学校時代で自分の性格、得意・不得意なことが気が付く。
自分が興味があることは熱中する、運動が得意ではなく体育は苦手だった。

中学校は地元の公立学校に進学、小学校時代よりさらに通学距離は長くなり、自転車で通う。
家庭の事情で中学校の頃から掃除・洗濯・料理の家事もすることが多かった。

あまり勉強した記憶はなかったが、成績はそれなりによかったので、高校は地元の進学校に通う。
通学はさらに遠くなり、高校2年から原付バイクで通う。
家事をしないといけないこと、通学も遠かったので、高校時代は部活には入らず、
帰宅部で家に帰って家事、学校に通う日々であった。
英語が苦手だったので、大学は理系の学部に進学しようと思い、受験。

【人生の転機1】浪人生活・大学時代

高校時代にあまり勉強しなかったこと、大学受験を甘く見ていたことで受験した大学は全て落ちる。
人生で初めての挫折を味わう。
親父にすごく怒られたが、予備校の費用を何とか出してもらい、1年間の予備校生活を送った後、
地方の国立大学の理系学部に合格。

大学で初めての一人暮らしを経験。
初めての一人暮らしで親元を離れた解放感、大学の授業にも興味がなく、あまり勉強をせず、
テレビゲーム、バイトに明け暮れる日々を過ごしていた。

【人生の転機2】就職・結婚

大学の成績はよくなく、卒業したら就職しようと考えていたころ、大学で初めて触ったパソコンに
興味を覚える。
自分でWindows95のパソコンを購入し、プログラミングを勉強。
大学時代にパソコンを使った仕事をしようと思い、東京のIT企業に就職。

大学を卒業し、東京に上京。
大学時代にパソコンを使っていたこともあり、新人研修中に妻と出会い、色々と教えているうちに
付き合うようになる。
妻は優しく、お金をいつも割り勘するしっかりとした女性だったので、一緒にいたいと思い、
付き合ってから2年経って結婚した。

1年間浪人しないと妻と出会えなかったので、本当に人生の縁・運命は分からない。
妻の両親は本当に家族を大事にする人たちで一緒に旅行に連れて行ってもらったり、
色々なことを気にしてくれたりして、人生で初めて家族の暖かさを知ることができた。
本当に妻と結婚してよかったと思う。

【人生の転機3】転職

妻と結婚した後、新卒で入社した会社で働いていたが、給料が安くて生活も大変だったところに、
パートナーとして働いていた人に誘われて、転職。
転職した会社の給料は高かったが、超ブラック企業。
1人で2、3人分の仕事をすることは当たり前。
自分の仕事以外に炎上しているプロジェクトの仕事も手伝ったりしていたので、
月300時間働くこともよくあった。

会社の方針で他人の力を借りず、自分の仕事は自分の力でやらないといけないと刷り込まれた。
そして、自分よりも仕事ができる人がたくさんいて上には上がいることも思い知らされる。
そのため、自分は他人より努力し、時間を使って仕事をしないと思い込みようになる。
この考えが後で自分を苦しめ、家族に大迷惑をかけることになった。

あるとき、仕事で大失敗したときがあり、夜も眠れなくなり、本当に仕事が嫌になり、
失踪を試みる。
会社、家族の助けでその日のうちに帰宅し、何とか仕事に復帰し、続けることになったが、
妻にも泣かれて本当に迷惑をかけて
大学受験に失敗して以来、2回目の挫折を味わう。

その後、お金を稼がないといけない思いで2社目の会社は10年以上働いた。

【人生の転機4】子供の誕生・自宅の購入

結婚後、子供が欲しかったが、中々できなかった。
妻と一緒に不妊治療を取り組んで6年目で長女が誕生。
子供が生まれたとき、妻の両親はすごく喜んでくれた。
自分も子供が生まれたことは本当にうれしかった。

妻は初めての出産、妻の両親にとって初孫だったので、妻はよく自分の実家に帰って
子供の面倒も見てもらうことも多かったと思う。
3年後、次女も誕生し、家族4人でとてもにぎやかになった。
賃貸だと手狭なため、次女が生まれた年に35年ローンで自宅を購入した。

【人生の転機5】2回目の転職

次女が生まれたときも2社目の会社で働いていたが、自分・家族の時間もなく、
仕事ばかりであったこと、業績も悪くなってきて会社の雰囲気も悪くなってきたので、
転職を決意。

転職する際の条件は給料が下がっても家族との時間が作れること。
転職活動を行い、3社目の会社に就職することができた。

2社目の会社で厳しい仕事をしていたので、3社目の会社の仕事は2社目より楽だった。
転職して時間もでき、家族と過ごせる時間が増やすことができた。

【人生の転機6】病気・休職

3社目で実績を作って会社からも信頼され、何名かの部下を管理し、大きな仕事も
任せされる立場になった。

参画したプロジェクトで信頼を得て、社員、パートナーの人数を増やして絶好調だった。
プロジェクト内での発言力も強くなり、立場の不満から周りと衝突することも増えていった。

油断があったかもしれない、プロジェクトで新規案件を担当するリーダーになった頃から
おかしくなってきた。
いつもと同じように業務をしながら人の管理をしていたが、色々な問題が発生。
新規メンバーが多く、進捗遅延、品質が良くない、トラブル対応に追われる、
新規案件のため、想定外の事態が多く発生し、残業、休日出勤が多く発生、
仕事以外の時間でも仕事ばかりのことを考えるようになってきた。
自分を責めて存在価値がない、迷惑をかけていると不安ばかり強くなり、
不眠、食欲の減少、全くやる気がなくなる。

病院に行ったら、心の病気だと言われた。
それでも頑張っていたが、ある朝で本当にやばくなり、家を飛び出そうになるところを
妻に泣きながら止められ、病院に行く。
とてもやばい状況だったので、その日のうちに入院。
人生で初めての入院が心の病気なので、正直、自分の人生が終わったと思った。
大きな挫折を感じた以上に妻にとても迷惑をかけたことを非常に嫌だった。

会社は休職し、入院し。
何もできない状態に隔離されたことで症状はよくなった。
同じような心の病気で入院している人も会話したり、医者や看護師の親切な対応で良くなり、
2ヶ月弱で無事に退院することができた。
入院中のストレス、他人のあら探しをする悪い癖で看護師や他の患者に迷惑をかけたこともあった。
本当に申し訳ないことをしたと思う。
自分の性格・考え方を改めて考えるきっかけになった。

退院後、妻より自分の性格・考え方を見つめなおして改善した方がよいと言われているので、
病院の復職プログラムを行ってから復帰する予定。
休職し、本当に迷惑をかけた家族のために働きたい気持ちで少し焦っているが、
病状が再発しないため、時間をかけて直していこうと思う。

休職する前、仕事とプライベートの切替ができなかったことも原因なので、今時間があるときに、
気分転換ができるように運動したり、音楽を聴いたり、他にも今までしなかったことも挑戦し、
趣味を増やして人生も充実させようと思っている。

【人生の転機7】復職

まだ、休職中。
復職したら書こうと思っている。